公開: 2021年4月29日
更新: 2021年5月24日
1992年2月、米国の歴史学者であるマイケル・クスマノは、自らが日本国内で実施した調査に基づき、日本で開発されてるソフトウェアの品質は、開発したソフトウェアに開発終了後も残存している誤りを、プログラムの規模当たりで計測すると、米国で開発されているソフトウェアの品質の約10倍になると発表し、このことが米国の新聞紙上をにぎわせた。
この記事の発表は、米国社会に激震を走らせた。当時、自家用自動車の初期不良や、半導体の不良率で、日本製品が米国製品を凌駕していたことは一般に知られていた。これは、日本製品の生産工場における出荷管理が行き届いていたことの証と考えられていた。しかし、多くの米国市民にとって、ソフトウェアの開発は、知的労働であり、肉体労働が主体となる工場の生産とは、性質が異なる問題であると考えられていた。
ソフトウェア開発において、日本の技術力が米国のそれを上回るとした、クスマノの報告は、米国の知的生産の技術力は世界一と信じていた、米国の国民にとって、看過できない問題であった。コンピュータ・メーカや、大ユーザ企業、さらに米国の議会でも1991年頃、このことが議論された。
当時、1992年11月の大統領選挙を控えていた、アル・ゴア上院議員が議長を務める上院委員会でも、メリーランド大学のバシリ教授やボストンの三菱電機研究所のベラディ所長らを招へいし、この日米のソフトウェア開発技術問題を議論する公聴会を開催し、日米のソフトウェア開発技術力の分析と米国政府の対応策について議論していた。
日本のソフトウェア戦略、マイケル・クスマノ、三田出版会、1993